さいころはうつわ経験値をかくとくした!
大皿彩子(おおさらさいこ)という名前は、
日本にひとりしかいないようです。
名前に違わず、お皿が好き。
幸運なことに、
食を愛する4人の女性による、
うつわと料理に親しみ、その時間をたのしむ会、
「UTSU-WA? Vol.7 うつわと食と夜饗の会」
URL : UTSU-WA?
とのご縁をいただいた。
わーい!
2015年12月6日の夜、
「夜饗・アジアの祝祭」をテーマに
料理、うつわ、花、空間、
細部まで気の利いた、うつくしいおもてなし。
お料理は、艶やか。
香りだけで3回くらい悦にひたった。
ひとくち食べるごとに、
味覚の扉がガンガン開いた。
とくに、スープは、
口当たりも気持ちの良いレンゲで運ぶと、
幼少期にセリフ丸覚えしていた、
あのグルメマンガの世界に飛んでいけた。
これが、“究極のメニュー” かーっ!
お花は、心づくし。
部屋に入った視線の先に生けられていたお花は
今宵の「祝祭」のために、紅をさしているようだった。
テーブルセンターには
ゲストの健康と幸福を願うしつらえがあったのだけど、
その説明を聞く前から、その心が、感じられた。
だって、花や緑の向こう側に、
それらをとっても丁寧に整える手が見えたもの。
空間は、特別な日常。
お祝いムードをもりあげる天井のお飾りも、
凝った照明も、
いままでの毎日にはないものだから、
まちがいなく、特別。非日常。
でも、
いえいえ、普段通りにしてください
というノーメイクな空気。
大人が集う会では上品でありたいのだけど、
ときに、空間の演出が過多なとき、
わたしのような少年系30代は、
いい子にしなくちゃと、おとなしく黙っているしかない。
この日はとっても心地よかった。
主催者の4名のみなさんだけでなく、
フォトグラファーやスタッフさんも、
自然に、ちょうどい距離をとっていてくれたからかなぁ。
そして、
うつわから感じた、愛と情熱。
うつわを、まずモノとして愛でて
さらに、料理とともに味わい愛でるという、
うつわと十分にじゃれえるプログラムに、萌え。
主催メンバーがいかにうつわを愛しているかが
びしびし伝わり、
わたしを流れるオタな血がさわいで、興奮…!
とくに、前菜は各々気に入った皿へ自分で盛りつけるという演出には
うつわを違う角度からも見てほしい、普段の生活で使ってほしい、
というメッセージがあって、
そのとおり、わたしは、
使わせてもらった真紅の平鉢に夢中になった。
さらにこの日は、幸運にも、
その真紅のうつわをつくられた鈴木陽子さんと
同じ食卓を囲むことができた。
千葉県我孫子の工房でするすると絵付けをしていると
おばあちゃんが「なーにやってんだ?」とひょっこり見にくるなど
陽子さんのお話を聞いて、
もういちど、手元のうつわを撫でちゃった。
この日、
作家さんの魂のこもったうつわと
上に盛られたお料理のどちらも、
血が通って生き生きしているように見えた。
わたしにとって、うれしい学びだった。
「お皿を彩る」ってこういうことか、
と思った。
実はわたし、最近、
大皿彩子・大きな皿を彩る子という名前に
ちょっと劣等感を感じちゃってたのです。
心の流れに従って食のしごとをするようになり
いつの間にか、30年以上連れ添っている名前の
背中を見ていることに気がつきました。
はじめて、「球児」(元阪神タイガース)の気持ちがわかったわー。
わたしは、お皿を彩ることができているのだろうか?
自分の知識の少なさ。お皿を扱うことの未熟さが嫌。
大皿彩子の名が黒帯だとしたら、
じっさいのわたしは初段、完敗だわー。
というくらいの敗北感があったけど、
そーゆーことじゃないな、と思えてきた。
UTSU-WA? のみなさんは「懐の深いうつわ」と表現していた。
すばらしい作家さんの手仕事は、
料理やひとをしっかりうけとめる大きな“うつわ”。
そっか、
わたしは、大皿彩子の名に臆病になる必要はないんだ。
大きなお皿は、わたしよりはるかに大きい、
その上で自由にすればいい、
うつわに身を委ねるように
食卓をつくればよいのだ。
うん、大皿彩子でよかった!
「UTSU-WA? Vol.7」あー、楽しかった!
食べ終わった後も、ワクワク感でつつんでくれるごはんでした。
そういう仕事をしたいし、
そういう人間でありたい。